2020年2月28日金曜日
見せしめ
今日改めて一人の管理職と話す。主任は誰一人希望の部署に入らない、という。嫌嫌ながら2、3度断ったあと渋々引き受けてやっているそうである。希望通りになるのは担任希望者だけである。こんな選べない職業である。なぜかというと、大半の希望を叶えてやると妬みと嫉妬で職場が崩壊するためだ。希望を非公開にすれば解決するが、この業界は不思議なことに公開されてしまうので個人の要望丸見えである。意図的に希望を書かない、あるいは敢えて逆の希望を書き索を案ずることもあるかもしれない。正直者はバカを見るのがこの世の中である。
2020年2月26日水曜日
消去法
余り物をあてがうよう。
いつかの幹事長とかの役職が決まったときのようだ。
この人もダメ、この人もダメ、では残りはあなたしかない、と決まる。ぜひあなたにお願いしたい、と言われた試しがない。
自分にとってのメリットが思いつかないので、winwinの関係にならない。では動機づけは失敗である。これからしばらく嫌な日々が続く。
2019年7月19日金曜日
夏休み前
明日から夏休み。
勤務校は二学期制だから、成績評価や通知表はなし。
前期の評価は9月末に出すことになる。
一般的な3学期制でいうところの1学期相当が終わったところで、授業の進度をメモ。
1年生のコミュニケーション英語Ⅰは、2クラス担当して、一つのクラスがLesson5Section2本文説明の途中で時間切れ。そのSectionの文法事項である、SVC(C=分詞)の文型を持つ文が登場したところまで進めた。
もう一つのクラスは、Lesson5Section1新出語彙(派生語を含む)の説明したところで時間切れ。
G-Suiteを利用して生徒をGoogle Classroomへ招待し参加してもらうことを進めた結果、一部の生徒の端末に若干問題は残るものの、担当クラス全員80名を参加させることが完了した。
これを活用して、教科書脚注にある、内容把握Q&AをGoogle formsを使って生徒への課題として出し、回答を集める段階までこぎつけた。
あとは、これらの回答例を授業でどのように活用するか、まだ試行錯誤は続く。
夏休み中は7月下旬から8月上旬まで、オーストラリア研修の生徒引率。
中旬は全国英語教育学会弘前大会へ。
下旬は定期健康診断・胃検診とライフワークセミナーへ参加予定。
8月28日から通常勤務再開。
勤務校は二学期制だから、成績評価や通知表はなし。
前期の評価は9月末に出すことになる。
一般的な3学期制でいうところの1学期相当が終わったところで、授業の進度をメモ。
1年生のコミュニケーション英語Ⅰは、2クラス担当して、一つのクラスがLesson5Section2本文説明の途中で時間切れ。そのSectionの文法事項である、SVC(C=分詞)の文型を持つ文が登場したところまで進めた。
もう一つのクラスは、Lesson5Section1新出語彙(派生語を含む)の説明したところで時間切れ。
G-Suiteを利用して生徒をGoogle Classroomへ招待し参加してもらうことを進めた結果、一部の生徒の端末に若干問題は残るものの、担当クラス全員80名を参加させることが完了した。
これを活用して、教科書脚注にある、内容把握Q&AをGoogle formsを使って生徒への課題として出し、回答を集める段階までこぎつけた。
あとは、これらの回答例を授業でどのように活用するか、まだ試行錯誤は続く。
夏休み中は7月下旬から8月上旬まで、オーストラリア研修の生徒引率。
中旬は全国英語教育学会弘前大会へ。
下旬は定期健康診断・胃検診とライフワークセミナーへ参加予定。
8月28日から通常勤務再開。
2019年6月9日日曜日
ICTの活用
現任高に異動して2ヵ月ちょっと。校長面談を先週終えた。
今年度特にやってみたいこと、という問いかけに対し、「ICTの活用」と回答した。
我が県では、今年度より生徒用のG-Suiteアカウントの運用が始まった。
生徒への教材配布や課題提示がオフィシャルのアカウントを使ってできるようになった。
令和元年度入学生のアカウントの準備がまだ整っていないが、受け持っている2学年外国語科の生徒へGoogle Classroomへの招待メールを送り、漸次運用を開始したところである。
徐々に他の職員へ啓蒙していきたいと考えている。
今年度特にやってみたいこと、という問いかけに対し、「ICTの活用」と回答した。
我が県では、今年度より生徒用のG-Suiteアカウントの運用が始まった。
生徒への教材配布や課題提示がオフィシャルのアカウントを使ってできるようになった。
令和元年度入学生のアカウントの準備がまだ整っていないが、受け持っている2学年外国語科の生徒へGoogle Classroomへの招待メールを送り、漸次運用を開始したところである。
徐々に他の職員へ啓蒙していきたいと考えている。
2017年9月18日月曜日
ブログ暦
今月でブログを始めて丸6年経過し、7年目に入った。更新頻度は非常に低いが、少しずつ書き足していきたい。
書く内容についてなかなか整理する時間がないのだが、書きたいと思うことはあるので、そのときが来たら書くようにしていく。
書く内容についてなかなか整理する時間がないのだが、書きたいと思うことはあるので、そのときが来たら書くようにしていく。
2017年8月13日日曜日
玉石混淆
英語は何のために学ぶのか。そして、どの程度身に付けるのが良いのか。
日本人は英語が下手だという脅迫概念に満ちているので、何とか英語を身に付けようとする人が一定数いる。
学校教育という限定された場で、どの程度身に付けさせるのか、については、達成目標が与えられているような、いないような、はっきりしない。現場の状況がさまざまであるから。
中学校や高校の英語の先生の英語力に対する批判があるが、ただ検定試験を受けなさい、といわれるだけで、実際成果を検証できない。
英語を教える人は、優秀な人もそうでない人も一定数いて、玉石混淆である。
本気で日本の英語教育の成果を改善したいのなら、ある程度優秀な英語の使い手が教えるのが、必要条件であろう。
英語の使い手として優秀な人は、英語の教え手にはなりたくないのではないか、と以前は思っていた。もっと英語を使える業界、給料の良い仕事があるからと思っていたから。例えば、通訳者、翻訳家、研究者など。
しかし、日本人として英語の使い手として優秀な人が、結局たどり着く業界が、日本の英語教育の世界ではないかと思い始めた。
かつては、優秀な同時通訳者であったり、英語ディベートのコーチであったり、生成文法など言語学の研究者であった人たちが、現在英語教育の世界で有識者として君臨している。
皮肉な見方をすれば、学習者として成功しどんなに英語が上達しても、結局たどり着くのは、英語を教える、という世界にとどまるということになろう。
日本の英語教育の業界は一つの巨大市場であり、それ以外の市場では、日本人が自分の英語の力を生かした仕事で食べていくことは難しいのかもしれない。
そうした人たちは学習者としては成功している。しかし、英語教育を専門的に捕らえる力があったかというと、未知数である。
そうして、日本の英語教育の世界は、専門性の高い「英語教育」に疎い人材が増えていき、ますます玉石混淆になっていくこととなり、混迷を深めていくのだ。
この混迷の中で、自分の育てている教え子には、英語が出来るようになってほしいのは当然だが、英語が出来るようになった結果がどうなるのか、ということまで見据えると、とても気分が暗くなる。
英語を生かせる仕事など、日本人にとっては、ほとんど無い、という実情がわかってしまったから。
英語はあくまでプラスアルファーであり、他に何か知識や技術・技能を身に付けたうえで、情報発信のメディアとして使えるのなら良いと思う。
英語修得だけを目標に習得しようとしていると、使い道はせいぜい英語教育の世界だけになっていくのが落ちである。
そしてますます玉石混淆が進んでいくのであろう。
正直、教え子たちには、英語以前に身につけるものをちゃんとしてから英語の修得という風に進んでいってほしいのだ。
でないと、必ずしも現状が魅力的とはいえない英語教育の世界に巻き込まれていくのが目に見えているから。
日本人は英語が下手だという脅迫概念に満ちているので、何とか英語を身に付けようとする人が一定数いる。
学校教育という限定された場で、どの程度身に付けさせるのか、については、達成目標が与えられているような、いないような、はっきりしない。現場の状況がさまざまであるから。
中学校や高校の英語の先生の英語力に対する批判があるが、ただ検定試験を受けなさい、といわれるだけで、実際成果を検証できない。
英語を教える人は、優秀な人もそうでない人も一定数いて、玉石混淆である。
本気で日本の英語教育の成果を改善したいのなら、ある程度優秀な英語の使い手が教えるのが、必要条件であろう。
英語の使い手として優秀な人は、英語の教え手にはなりたくないのではないか、と以前は思っていた。もっと英語を使える業界、給料の良い仕事があるからと思っていたから。例えば、通訳者、翻訳家、研究者など。
しかし、日本人として英語の使い手として優秀な人が、結局たどり着く業界が、日本の英語教育の世界ではないかと思い始めた。
かつては、優秀な同時通訳者であったり、英語ディベートのコーチであったり、生成文法など言語学の研究者であった人たちが、現在英語教育の世界で有識者として君臨している。
皮肉な見方をすれば、学習者として成功しどんなに英語が上達しても、結局たどり着くのは、英語を教える、という世界にとどまるということになろう。
日本の英語教育の業界は一つの巨大市場であり、それ以外の市場では、日本人が自分の英語の力を生かした仕事で食べていくことは難しいのかもしれない。
そうした人たちは学習者としては成功している。しかし、英語教育を専門的に捕らえる力があったかというと、未知数である。
そうして、日本の英語教育の世界は、専門性の高い「英語教育」に疎い人材が増えていき、ますます玉石混淆になっていくこととなり、混迷を深めていくのだ。
この混迷の中で、自分の育てている教え子には、英語が出来るようになってほしいのは当然だが、英語が出来るようになった結果がどうなるのか、ということまで見据えると、とても気分が暗くなる。
英語を生かせる仕事など、日本人にとっては、ほとんど無い、という実情がわかってしまったから。
英語はあくまでプラスアルファーであり、他に何か知識や技術・技能を身に付けたうえで、情報発信のメディアとして使えるのなら良いと思う。
英語修得だけを目標に習得しようとしていると、使い道はせいぜい英語教育の世界だけになっていくのが落ちである。
そしてますます玉石混淆が進んでいくのであろう。
正直、教え子たちには、英語以前に身につけるものをちゃんとしてから英語の修得という風に進んでいってほしいのだ。
でないと、必ずしも現状が魅力的とはいえない英語教育の世界に巻き込まれていくのが目に見えているから。
2017年7月5日水曜日
ショーシャンクの空に
「ショーシャンクの空に」という20年以上前の古い映画。この映画の中で終身刑に処せられていた老人が何度も仮釈放を願い出る。しかし、やる気があるときには決して許可されず、もうやる気がなくなった頃にようやく出所する場面があります。しかし、彼は出所後の生活になじむことが出来ずに自ら命を絶ってしまう悲しい結末を迎えます。前任校にいた頃、私は自分自身にこの老受刑者の姿を重ね合わせていました。いつか、環境が変わったとしても、なじめず、その後どうなるのだろう、という漠然とした不安に苛まれていた。現任校に転任して1年3ヶ月。その不安が現実になりつつあるような気がしています。この映画の主役のように希望を失わずに生きられるように努力します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%A9%BA%E3%81%AB
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