1.幼少期
父親は中卒であったが、映画好きで、洋画を通じて外国文化に興味を持っていたようだ。赤ん坊の頃海水浴に行った折り、外国人(多分アメリカ人)に話しかけられ(私は当然記憶無く、親の思い出話)、父は口語英語への関心が高まっていったようだ。そんな父親の影響を受けたのか、アルファベットの文字には関心を持っていたようで、公衆トイレの「WC(ダブリュウシー)」が読めた。Wは自分の名前の頭文字であることも認識できていたようだ。これは、母親が下着に目印で名前の頭文字を書いていたせいかもしれない。幼稚園の頃TVのサンダーバードが大好きで、航空機の機体の横に書いてある英語をどうしても書き写したくて、一生懸命覚えようとしたのだが、「てぃー、えいち、ゆー、えぬ、でぃー、、、ええと、いー・・・」までが限界であった・・・人間が一時的に覚えられるのは七つまで、というのは大人になってから知ったことである。当時テレビッ子で見ていた番組のシャボン玉ホリデーで日本人が英語の歌を歌っているのを聴き、「日本人なのに英語で歌が歌える!」と感動を覚える。小学校三年生くらいの時に父が「コンサイス英和辞典」「コンサイス和英辞典」を買ってくる。当時自動車が大好きで、早速和英で調べてみると、英語はなんて書いてあるのか読めなかったが、読み方がカタカナで書いてあり、「おーともびる」と読めた。
(続く)」