英語教師になる人には、二種類あると思う。
パターン1.「もともと教師志望であり、どの科目の教師でも良かったのだが、たまたま得意とする科目が英語であったので、専門科目を英語として教師になる人」
パターン2.「教えるのはそこそこ好きなものの、最初から教師を目指したわけではなく、英語(の勉強や研究)が好きなので、英語を生かした職業として教師になる人」
パターン1の人は、英語以外の教科でも見られると思う。そして、何より、教育を仕事としてやりがいを持って取り組むため、理想的な教育を実践する。僕の小学校の同級生のひとりが、今年小学校の校長になった。彼は小学校の頃から教師を目指していた。そして、高校でも同じ学校になったのだが、理系に進み、地学部の部長をやり、中学校の理科の教師となり、義務教育の世界で校長まで上り詰めたのだ。
パターン2の人は、僕がそのひとりである。大学は教育学部に進んだものの、自分がやりたかった英語の勉強は進んだ学科が技術科だったので、ほとんど出来なかった。英語教師には漠然となりたいとは思っていたが、教師という職業には強い動機はなかった。小学校や中学校の教員にはむしろなりたくはなかった。かろうじて、高校の教員なら、それも、英語の教員なら、やってもいいかな、というくらいの動機だった。実際に試験を受けて教員になろうと決断したのは大学4年の教育実習を終えてからだった。そんなものだから、昔よく言われた「デモシカ」教師の亜流と言っていいかもしれない。