LINEアカウントを誤って削除してしまった。電話番号を変更する順番を間違えたのである。
同じ番号を同時に複数の端末に登録すると、消えてしまうことをうっかり忘れていた。
今まで常用していたアカウントが完全に消滅した。グループラインからも退出といった形でいなくなっていると思われる。
新しいアカウントを用意したので、友達申請をしてもらうべく、SMSまたはメールで連絡を取り始めたところである。
LINEアカウントを誤って削除してしまった。電話番号を変更する順番を間違えたのである。
同じ番号を同時に複数の端末に登録すると、消えてしまうことをうっかり忘れていた。
今まで常用していたアカウントが完全に消滅した。グループラインからも退出といった形でいなくなっていると思われる。
新しいアカウントを用意したので、友達申請をしてもらうべく、SMSまたはメールで連絡を取り始めたところである。
かなわぬ願いである。不謹慎なことを言っているかもしれない。以前、「もう死んでもいい」と考えたことがあった。その時はとてつもない喜びを得て思わず言葉にしてしまったのだった。
今は、私は自身がまた生きるのも苦しいなか、身近な人、もっと生きたかった方が早世されてしまった。非常に心苦しい。昨年は私も入院し大きな手術を受け、ひょっとするとこれで終わりなのかという考えも頭をかすった。それならそれでもいいか、とも考えた。しかし、命は自分の思い通りにはできないものなのである。続けるときも終わるときも。
文部科学省が開始した『#教師のバトン』プロジェクト。これに対して、現場からネガティブな意見が殺到して炎上している。それをどう解釈するか。ある人は、『本当の意見だと思う。その本当の意見をいろいろぶつけて現場もよくして、よくなった現場に入りたい、教師になりたいっていう人が結果的に増えると思うんですけど…。』という。
私は、自分の意見はあっても、言葉にして書くことが到底できない。同じような感想・意見になってしまうから、というのではなく、それは例えて言うなら太平洋戦争後、多くの人が悲惨な戦争体験を語ることを躊躇したような感覚に近い。私の経験はそれほどに、心身ともにズタズタにされるようなものの中で、何とか生き残って現在に至る、と強く感じられる。しばらくは思い出したくないのである。